現代社会と福祉の科目はこれまでの福祉政策の歴史の変遷が詰め込まれているため、福祉を学ぶ上では大変重要な科目です。しかし、幅広い内容の理解が必要なので高得点を狙うのは難しい科目でもあります。よって、ここでも出題頻度が高い頻出キーワードをしっかり覚えることがカギとなります。受験生が選ぶ頻出キーワード第2位をこの記事では紹介します。
・第2位キーワードの覚え方。
以下、目次となります。
『現代社会と福祉』受験生が選ぶ頻出キーワード第2位は?
この言葉が第2位に選ばれました。近代慈善事業に携わった人たちは一人ではなく、いろんな人物が出てきます。それぞれの人物がどのような事を行ったのか、人物とキーワードをしっかりと結びつけて覚えていきましょう。
社会福祉士の国家試験では、出題分の中に年号も入ってきます。ですので、学生の時、歴史の時間に覚えた『いい国作ろう鎌倉幕府(1192年)』のように語呂合わせでも良いので年号も頭に入れておいてください。
岩永マキ、石井十次、石井亮一
岩永マキは1874年に浦上養育院を設立しました。岩永マキは明治初期の長崎で孤児養育に取り組み、近代の最古の児童施設として浦上養育院を設立したのです。
彼女は長崎で隠れキリシタンとして活動。信仰と社会福祉事業に生涯をささげたとされています。浦上養育院には多数の孤児を引き取って育てたと言われています。
石井十次は1887年に岡山孤児院を創設しました。彼は、日本で最初に孤児院を創設した人物であり、「児童福祉の父」と言われています。
1人の貧しい子を預かったことを契機に、医学への道を辞め、児童救済事業を開始した人物です。
石井亮一は1891年に滝乃川学園(孤女学園)を創設しました。滝乃川学園は日本初の知的障がい児者のための福祉施設です
彼は1891年濃尾地震の際,孤児をひきとり孤女学院(のち滝乃川学園)を創立しました。研究のため米国留学,帰国後は知的障害児の教育に専念した人物となります。
山室軍平、原胤昭、留岡幸助、野口幽香
山村軍平は1895年に救世軍日本支部を創設しました。彼は、廃娼運動・禁酒運動などに活躍しました。
濃尾大震災の時には石井十次と協力し孤児救済に奔走し、日本人初の救世軍士官となった人物でもあります。
原胤昭は1897年に東京出獄人保護所を創設しました。彼は、更生保護事業の先駆者として「更生保護の父」と称されます。
彼は自ら冤罪で捕まり、出所後の生活の不自由さを目の当たりにし、出所後の社会復帰の場として東京出獄人保護所を創設したと言われています。
留岡幸助は1899年に家庭学校(児童自立支援施設)を創設しました。
彼は、犯罪の多くは非行歴が少年にあることを知り、非行少年のための感化院を作ろうと考え、アメリカに留学。そして、帰国後、代用感化院として家庭学校を日本に作った人物です。
野口幽香は1900年に二葉幼稚園を森島美根と設立しました。
この双葉幼稚園は、華族女学校付属幼稚園で働いていた野口幽香と森島美根が貧民が多く集まり住むスラム街の子供たちにも養育の機会を与えたいとの気持ちを持ち、家を借りて6人の子どもから始めたのと言われています。
渋沢栄一
渋沢栄一は、20年ぶりに刷新される紙幣に載る人物として注目を浴びています。
彼は、農民出身ながら、江戸時代末期に武士に取り立てられ、明治政府では、大蔵少輔事務取扱となり、財政政策を行いました。
退官後は実業家として、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な会社の設立・経営に関わり、その結果、500にのぼる企業の創設、育成に携わった人です。「日本資本主義の父」と称されています。
このように新1万円札の顔として注目の高まっている渋沢栄一ですが、社会福祉士国家試験としては、1908年に中央慈善協会(現全国社会福祉協議会)の初代会長に選ばれたことを覚えておかねばなりません。
話題の人物ですので、国家試験に狙われやすいのは言うまでもありません。
合格者はこう覚える!
上述で説明してきた各近代慈善事業の先駆者達ですが、覚えないといけないのは、
1874年-岩永マキ-浦上養育院
1887年-石井十次-岡山孤児院
1891年-石井亮一-滝乃川学園
1895年-山室軍平-救世軍日本支部-廃娼運動
1897年-原胤昭-東京出獄人保護所
1899年-留岡幸助-家庭学校
1900年-野口幽香-二葉幼稚園
1908年-渋沢栄一-中央慈善協会初代会長就任
です。
語呂合わせで覚えましょう!
1874年…岩永、話にならんと養育院設立。
1887年…医師を辞め、半端ない十次の岡山孤児院。
1891年…滝乃川学園創設の亮一は、悔いない。
1895年…軍平、廃娼運動は救護のため。
1897年…捕まるという嫌な苦難を乗り越え保護所創設。
1899年…不良少年いっぱい。九九を言えるように家庭学校創設。
1900年…一人じゃ出来ない。野口麗華、森島美根と二葉幼稚園。
1908年…1万円札の渋沢、退官後の暮れは中央慈善協会初代会長就任。
- この記事でのポイント
・1874年-岩永マキ-浦上養育院
・1887年-石井十次-岡山孤児院
・1891年-石井亮一-滝乃川学園
・1895年-山室軍平-救世軍日本支部-廃娼運動
・1897年-原胤昭-東京出獄人保護所
・1899年-留岡幸助-家庭学校
・1900年-野口幽香-二葉幼稚園
・1908年-渋沢栄一-中央慈善協会初代会長就任。
・このように、年号-人物-キーワードを結び付けて覚える。